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松本人志の「不良品発言」が物議!川崎殺傷事件は不良品によるものか?

2日に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)の番組内において、タレントの松本人志さんが、川崎殺傷事件に対する持論を展開し物議を醸し出しています。

松本人志さんは番組内で川崎殺傷事件ついて、次のように語ったのです。

「人間が生まれてくる中で不良品が何万個に一個あるのはしょうがないと思うんすね。それをみんなの努力で、何十万個、何百万個に一個に減らすことはできるのかなと思う。

正直、僕はまあ、こういう人たちは絶対数いますから。もう、その人たち同士でやりあってほしいですけどね」

こちらのYouTubeの22:06から松本人志さんのコメントが展開されているのですが、このコメントに対する多くの批判的意見がネット上に書き込まれています。

この記事では、松本人志さんのコメントに対する視聴者の意見や、人が生まれながらに「不良品」であり得るのかどうかなどについてまとめていきます。

松本人志さんの「不良品」発言に対する意見について

Twitterでもこの件に関しては多くの意見が展開されています。

このように、松本人志さんの意見に対し「異議」を唱える意見が殆どを占めています。

この反応は本当に当然のことであり、このような発言や理屈がまかり通ってしまってはならないと思います。

「松本人志」という、メディアが生み出した商品を好んで消費(視聴)する人間がいたからこそ、松本人志さんは今の地位を築けたはずです。

そして彼の成功のプロセスというのは、多くの一般人のある種の「犠牲」の上に成り立っているということを、本来彼は理解していなければならないはずです。

しかし残念ながらそうではなく、あくまでも自らは「優良品」であり、そうではない「普通の品」や「不良品」とは違うという考えが根底にあるため、このような発言をしてしまったのだと思います。

そもそも「不良品」というのは存在するのか?

これは別の記事「川崎殺傷事件の犯人の氏名や顔画像が特定か?犯行動機と拡大自殺について」でも触れたのですが、私たちには今回の「川崎殺傷事件」とは現代社会が生み出したものでもあるという認識が必要なはずです。

というのも、現代社会では孤独な人、つまり「繋がりを持てない人」が非常に多くなってきてしまっているからです。

そして、仮にその「繋がりを持てない人」が不良品と呼ぶのであれば、それは先天的なものなどではなく、私たちが共存する社会が創り出したものに他なりません。

そしてそのような社会が創り出された理由が戦後のGHQによる占領政策にあると聞いたら驚くでしょうか?

フロリダ児童福祉研究所のジェシカ・プライス氏の研究によれば、「強制的同化」と呼ばれる政策はアメリカが黒人奴隷やインディアンなどを支配する際に取られた共通の手法だとされています。

その政策のポイントは、「子供と親との間に距離を作り出し、民族固有の価値観を徐々に放棄させる」ことにあるとされています。

戦後の日本では経済復興中心の政策を元に、人口は地方から都心へと移り、家族構成は核家族化が進行して行きました。

親と子が少しずつ距離を離れて暮らすことが当たり前となり、団塊世代から団塊ジュニアの世代へとその在り方は少しずつ「当たり前」なものとなっていきました。

そして団塊世代が社会の一線を退いたあたりから、少しずつそれによる問題が顕在化してきています。

それが「8050問題」や「7040問題」と呼ばれる社会問題であり、親と上手く繋がってくることができなかった子供が問題の中心にいるのです。

先日起きた、元農水省事務次官・熊沢英昭容疑者による長男殺害事件も、根底には「繋がり」の欠如があるはずです。

エリート官僚が家庭や子供との関係を犠牲にし、トップの地位まで上り詰めた様子は想像に難くはありません。

川崎殺傷事件のような凶行を心配し、自らの息子を殺害してしまった熊沢容疑者は、加害者であり被害者でもある訳です。

  • 自らの息子を殺害したという加害者の立場
  • 引きこもりで暴力的な息子の行く末を案ずるがあまり、実の息子を殺さなければならないという状況に追い込まれた被害者の立場
  • 社会的成功を追い求め官僚トップまで上り詰めた結果、子供との繋がりを疎かにし、引きこもりで暴力的な息子に育ててしまったという加害者の立場
  • 社会的(経済的)な成功が人生のゴールであるという間違った認識を信じこまされた被害者の立場

このように、熊沢容疑者の犯行は現代社会が創り出してしまったものでもあると言えるのです。

そのような観点から考えると、松本人志さんの発言はあまりにも稚拙で思慮に欠けるものと言わざるを得ないと思うのです。

川崎殺傷事件を肯定するつもりは全くありませんが、もしかしたら私たちも同じような事件を引き起こす土壌の上に生活をしているのではないでしょうか?

私たちはたまたま誰かと「繋がる」ことができていることにより道を外すことがないだけで、その「繋がり」を失ったら、そのような凶行に及んでしまう可能性も否定できないのかも知れないと思うのです。

だからこそ「一人で死ねばいい」とか「不良品」などという発言を行うのではなく、人と繋がれない人が、人と繋がることのできる社会を構築する為のメッセージを発信するべきなはずです。

まとめ

いかがでしたか?

大きな影響力をもつ松本人志さんの発言だからこそ、とても残念なものだったと思います。

この意見に対し異議の声が多いことが救いではありますが、これからはこのような意見が広く発信されないことを願いたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。